未知なるものへの憧れ

  この正月休みに、何気なく立ち寄ったレンタルビデオ店の片隅で見つけた古ぼけたビデオを前に
 甘酸っぱい思い出がこみ上げてきた。「未知との遭遇」-それは、当時高校生だった私が、つきあい
 はじめたばかりの彼女と初めて一緒に観に行った映画である。確か、宇宙人が地球に訪れている
 ことを察知した人々が、最終的に決定的な場面に遭遇するといった類の内容だったと思うが、舞い
 上がっていた私はその詳細を記憶していない。どんな内容であったか確認したい衝動に駆られたが、
 家内に「どうしてこんな古いビデオを借りてきたの?」と詰問されるのがおちなので、結局手ぶらで家
 路につくことにした。

  幼児はいつも「ね〜どうしてなの?教えて」と言って親を困らせる。人にはどうも程度の差はあれ、
 本能として未知なるものへの憧れと、それを知りたいという欲求が内在しているらしい。生命科学の
 研究者とは、このような衝動に駆られ、未知なる生命現象を解き明かすことを業とした人達といえる
 のかもしれない。私が内科での臨床研修を終えて大学院を志したのも、生命現象の神秘そのもの
 に触れてみたいという欲求からだったと思う。この思いは今も変わっていない。むしろ、生命現象を
 正しく理解することなくして真に医学(療)の発展はあり得ないと考えている。

  胸腺内分化過程で、T細胞はMHCに結合した自己抗原ペプチドを、そのTCRを介して認識するこ
 とで正と負の選択を受け、末梢で免疫応答に寄与するT細胞レパートリーが決定される。大学院入
 学当時は、正と負の選択がTCRトランスジェニックマウスを用いてやっと 'visualize' された頃であり、
 私にとってこの相反する選択はまさに免疫系の神秘とも思われた。以降、正と負の選択を決定する
 TCR-MHC/ペプチド複合体相互作用につき種々の遺伝子操作マウスを用いた解析を行い、この分
 野に多少の貢献はできたのではないかと思うが、未知なるものを解明したいという充足感には程遠
 い。

  概念的に免疫寛容を獲得するという負の選択の意義は理解しやすい。しかしながら、正の選択の
 生物学的意義とは、いったい何であろうか?これまで、末梢で自己MHC拘束された外来抗原ペプチ
 ドを認識するTCR、すなわち正の選択を経て形成されたTCRを対象に、TCR・MHC・抗原ペプチドの
 3分子間相互作用に関する複数の結晶解析の結果が報告されている。これによれば、'diagonal'
 あるいは 'orthogonal' といった違いはあれ、TCRはMHC/抗原ペプチド複合体を常に真上から認識
 しているということになる。TCRが理論上1016に及ぶ多様性を獲得していることを考えると、TCRが
 このように一定の 'binding geometry' でもってMHC/ペプチド複合体を認識すること自体むしろ奇異
 なことに思える。もちろんTCRとMHCは共進化した分子群であり、TCRの多様性は主にCDR3ルー
 プの多型に依存するので、TCRのゲノム構造そのものがMHCとの結合様式を規定しているといっ
 た可能性は充分に考えられる。しかしながら、TCRのゲノム構造そのものが本来MHC分子を認識す
 るように形づくられていると結論した論文においても、対象としたのはアロMHC分子であり、その結
 合様式を解析したわけではない。加えて、これまでアロMHC反応性TCRにおいて、抗原ペプチド非
 依存的にMHC分子を認識する例が報告されていることは興味深い。正の選択とは、MHC/ペプチド
 複合体をある一定の 'binding geometry' で認識するTCRに分化を許容するプロセスなのではない
 か?-これが現在私が漠然と抱いている仮説であり、これを検証する中で正の選択の生物学的意
 義という問いに対しての自分なりの哲学を確立できればと考えている。

  一方、胸腺、骨髄といった1次リンパ組織で分化したリンパ球は、リンパ節、脾臓、パイエル板と
 いった2次リンパ組織の特定のコンパートメントへ移動することで免疫応答の場を構築する。それ
 故、TCR-MHC/ペプチド複合体相互作用を免疫系構築のソフトウェアと位置づければ、リンパ球遊
 走はまさに免疫系構築のハードウェアに例えることができよう。我々は最近、細胞骨格を制御する
 ことで、リンパ球遊走に不可欠な分子を同定した。細胞骨格の再構築は、細胞運動以外にもさま
 ざまな細胞高次機能を制御している。それ故今後、この分子を足掛かりとし、より普遍的な生命現
 象の神秘へ近づいていければと考えている。

  未知なるものは、解明された瞬間既知なるものとなってしまい、その驚きや喜びはすぐに忘れさ
 られてしまうものなのかもしれない。それでもなお私は、未知なるものを解明しようと努力したプロセ
 スとそれを解明した喜びを、真にホープと呼べる若い研究者と共有したいと思う。また、そのような
 機会を、生命の神秘を解き明かすという生命科学の醍醐味を1つの文化として享受し得る真に成
 熟した社会の中で迎えたいと願っている。もし、今後の研究生活においてそのような機会に恵まれ
 れば、今度こそその「未知との遭遇」を舞い上がることなく自分自身の脳裏にきざみつけるつもりで
 ある。

                                   (JSI Newsletter 「HOPE登場」より)